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トドさんの店長日記

8月04日 芸人シソンヌはご存知ですか?
大変お久しぶりです!!皆さんお元気でしたか??今、輝屋では御中元シーズンで時間との闘いの日々です(嬉しい限りでございます。(^^))
そんな中で、先日「ぶちぶちシソンヌ」と言う番組の取材がありました!コントで日本一になったシソンヌが広島を中心に面白いものを伝えている番組なのです。
今回は輝屋の果物を紹介していただける事になりまして、次長課長の河本さんをゲストに輝屋の店長も頑張っておりました!!
放送は広島と青森だけ?のようで、24:15放送と深夜番組なのですが是非ご覧になってみて下さい(^^)
放送日:8月22日火曜日深夜24:15


4月14日 ナツメ
ナツメ(棗)は、よくナツメヤシの実(デーツ date 又はjujube)と混同されることがありますが、前者はクロウメモドキ科の落葉高木であり、後者はヤシ科の常緑高木で違うものです。
ナツメは日本ではよく庭木として栽培されていますが、実は2cm前後と小さく、乾果としたり薬用として使われているだけで、あまり生食には用いられていません。
私が数年前に台北に行ったときに初めて訪れた果物屋さんでは、長さが4cm以上もある大きな生のナツメを売っていて、さっそく買い求めてホテルまで持ち帰って食べてみたことがあります。
ナツメの実は熟すと黄色になるそうですが、そうなると食感が柔らかくなるので、現地では青いうちに食べるのだそうです。
私が買い求めたのも、ガイドさんのアドバイスに従ってまだ緑色のものでしたが、一口かじれば食感はパリッ、嚙み砕けばシャクシャク、少しぬめりがありますが、ほのかな酸味と梨のような爽やかな甘味で、僅かな青臭さと弱いけどリンゴのような香りがあり、なかなかに美味で思わず4,5個も食べてしまいました。
それ以来、何とか生のナツメを売ってみたいと思うようになりました。
そんな時に、沖縄でナツメを作っているという情報が入り、今回の沖縄視察となったわけです。




4月13日 ドラゴンフルーツ
ドラゴンフルーツは長日植物です。
長日植物とはある一定時間明るい時間が続く(暗い時間が短くなる)と、花芽が形成される植物のことです。
ここで注意しなくてはならないのは、花が咲くのではなく”花芽”が形成されるという点です。
例えば、イチゴ(四季生りイチゴは除く)は短日植物ですが、花が咲くのは自然界では4-5月頃です。
つまり、花芽はそれ以前の日照時間が短い時に形成されているわけです。
ドラゴンフルーツは、沖縄の自然条件下では5〜11月に開花結実します。
6-9月は病気が多いことやマンゴの収穫時期が重なることを嫌って、10ー11月頃に集中して収穫できるように、電照(日没〜夜間に数時間明かりをつけること 15日間くらい)する農家もあります。
沖縄の生産者の方は、「甘いのは赤だが、白のほうがコクがあってうまい。また、露地栽培よりもハウス栽培のほうがうまいよ。」と言っていました。
ただ、広島の市場に送られてくるドラゴンフルーツは、困ったことに、ハウス栽培とか書かれていないので区別がつかないんだよなあ。




4月10日 ドラゴンフルーツ
ドラゴンフルーツには、白、赤、ピンク、黄色、ゴールデンと五種類の色があります。
その中で最も甘いのがイエローピターヤ(ドラゴンフルーツはピターヤ又はピタヤとも呼ばれる)とよ呼ばれる黄色いドラゴンフルーツです。
大きさはあまり大、非常に甘く感じました。
他のドラゴンフルーツは、甘味の主成分がブドウ糖(甘味は蔗糖の7割くらい)なのでそれほど甘味を感じないのに、イエローピターヤが特に甘く感じるのは、甘味の主成分が蔗糖や果糖(蔗糖の1.1〜1.7倍くらい)だからだそうです。
近年注目されているのは、2007年に日本で品種登録された「ちゅらみやらび」です。
果肉はピンク色で、糖度も15度以上とかなりの甘さです。




4月9日 ドラゴンルーツ
ドラゴンフルーツは、独特の赤色に先のほうが緑色をしている鱗片に包まれていて、「宇宙人の卵ですよ」と言われても信じてしまいそうな不思議な雰囲気を持った果物です。
初めて見たときは、ベトナムからの輸入品だったと思いますが、その後メキシコ産になり、今では沖縄産ばかりになりました。
ドラゴンフルーツは、サボテン科ヒモサボテン属サンカクサボテンの仲間果実です。
名前のいわれは、果皮がドラゴンの肌に似ているからだと思っていたのですが、どうも違うようです。
ドラゴンフルーツがなっているのを遠くから見ると、真っ赤な実がドラゴンの目に見えるからだそうです。
確かに、ひょろっとした緑色のサボテンに真っ赤な実が付いていれば、ドラゴンの目に見えなくもないのかな、と思います。




4月7日 スターフルーツ
スターフルーツは収穫後、必ず切り戻しをします。
これは、放っておくとどんどん伸びていって、大きくなりすぎてしまうからです。
(こういう所は、同じつる性植物のキウィと同じなんですね。
キウィフルーツも一年間に数メートルも伸びるので、放っておくと隣の枝と絡みついて始末に負えなくなります。)
マンゴとスターフルーツをセットで栽培すると、収穫期が重ならず非常に相性が良いそうです。
マンゴは反収(一反{300坪}当たりの収量)が1トンですが、スターフルーツは2トンも穫れるます。
なお、スターフルーツは病害虫に強いから農薬はそんなに使わないで済むのは、適用農薬が少ない南国果物の中ではありがたい果樹です。
スターフルーツは、酸味系と甘味系があって、酸味系は輪切りにしたりして野菜として扱います。
甘味系は、ステイックにしたりして果物として扱えば良いでしょう。




4月6日 スターフルーツ
スターフルーツは、経済寿命が30年以上あり、ほぼ永年作物と言って良いでしょう。
圃(ほ)場では棚栽培ですが、苗としてある程度大きくなるまで育てる時は垣根栽培です。
垣根栽培は、樹が大きくなると場所を大きく取ってしまうのと、実を葉が隠してしまって収穫するのに手間がかかるという欠点がありますが、作業は楽なので苗の時だけ垣根栽培にするのだそうです。
そして大きくなれば、圃場に移して棚栽培にします。
こうすると、実は棚からぶら下がったように見えるため、収穫が非常に楽になります。




4月4日 スターフルーツ
スターフルーツは、カタバミ科ゴレンシ属の果物ですが、カタバミと同じように微量ながらシュウ酸を含んでいますので、健康な人は問題が無いのですが、腎臓に障害がある方は腎臓結石が出来やすいので、避けた方が良いと言われています。
名前の通り、果実を輪切りにすると五芒星形をしていますが、沖縄では立て切りにして五つに分解してスティック状にして食べることもあります。
お土産屋さんで、カップに入れて売っているのを見かけました。
味は、どちらかというと梨に近く、酸味がありさっぱりとした感じですが、かすかに苦味を感じることももあります。
果実はカタバミの葉を噛んだ時のような香りと青臭さを感じさせます。
スタ−フルーツを食べる時は、必ず五つの翼の縁を薄くカットします。
これは、その部分に苦味があるからだそうです。
日本で栽培されているスターフルーツには3種類ありますが、その中でも「美ら星 ちゅらぼし」という品種が美味しいそうです。




4月1日 レンブ
レンブの栽培で大事なのは、ワイ化栽培と剪定の技術だそうです。落葉した枝に花芽が着くと言うことで、このへんは熱帯果物には珍しいことなのでしょうか。
よく分かりませんが、わざわざそう説明されたと言うことは、珍しいのかもしれません。
病害虫は、夜蛾(ヤガ)がひどいそうです。
夜蛾は、日本で生息しているものだけでも1200種を越えるほどの大所帯で、幼虫は果樹や野菜の葉を食害し、成虫は果実を吸汁するため、吸汁痕(最初は目に見えないくらい小さいが、日が経つと黒くなり腐敗していく)で見栄えが悪くなるだけで無く、腐敗果の原因ともなります。
夜に活動するものが多いのでこのように呼ばれますが、真っ昼間でも飛んでいるものもあります。
農家にとっては、憎たらしい天敵です。




3月31日 レンブ
レンブの欠点は、打ち身になりやすいことです。
みずみずしくシャクシャクした舌触りということは、繊維が緻密でないということだろうと思います。
つまり、組織が軟弱なんですよね。
沖縄では以外に大雑把に箱詰めして取り扱っているようですが、そのまま内地に輸送すると、打ち身がかなり出るのではないかと思います。
輸送方法や取り扱いに細心の注意がいる果物だと思います。
また、雨に合うと裂果し易いのも欠点です。
この欠点を補うには、今のところハウス栽培しか方法がないと思うのですが、果たしてその費用が出るほど高い単価で売れるかどうか。
もし内地へ出荷するのなら、悩ましいところだと思います。
苗木は取り木をして仕立てるのだそうです。
「取り木」は下枝を曲げて枝の一部を地面に埋める方法なのかな?と思って聞いてみると、そうではなくて、枝の一部を環状剝皮して湿らせたミズゴケを巻き付ける方法で取り木をしているということでした。
取り木だと挿し木に比べて本数を稼げない代わりに、ある程度成長した苗に仕立てることができるので、収穫までの年数を大幅に減らすことができます。
すでに2年苗を30本も仕立てているということなので、数年もすれば市場にこの品種が出回ってくるのではないでしょうか。



3月30日 レンブ
視察させていただいたレンブは、元々は台湾で「黒真珠」又は「黒ダイヤ」と呼ばれている品種で、色は黒紫色だったそうです。
ところが、なぜか沖縄ではピンク色にしかならないそうですが、味も大きさもこちらの方が上だとか。
収穫最盛期は7月なのですが、これをなんとか前進させて6月中に収穫を終わらせたいのだそうです。
というのも、7月からマンゴの出荷が始まるからで、それが解決できれば、労働力の分散が出来て、非常に楽になるのだそうです。
中々に熱意溢れる方でした。




3月26日 沖縄 レンブ
今回の旅行の目的の一つである、レンブは、残念ながら季節外れということで、樹に生っているところは見れませんでした。
レンブは、フトモモ科の果樹で、学名をジャワフトモモ、英語名ではrose apple, wax appleと呼ばれています。
色は白〜ピンク〜赤〜紫、緑、黄と変化に富んでいます。
また、白い実がなっている樹に、ピンクの実がついていたりしていることもありますが、これは高接ぎしてあるのか、それとも自然にそうなるのかはわかりませんでした。
また、果形も洋ナシ型、ボタン型その中間型と変化に富んでいます。
特徴的なのは、果実の表面がつやつやとしていて、まるでワックスを塗ったように光っていることです。
食感はシャクシャクで軽い口当たり、味は軽い渋みと酸味、甘味はそれほどでもなくさっぱりとして、いかにもサラダに向いている、という感じです。
原産地はマレー半島ということで、世界中の熱帯、亜熱帯で栽培されているそうです。
日持ちがあまりよくないのが果物屋にとっては困った点ですが、その色、形は非常に魅力的です。
シーズンになれば、扱ってみたい果物の一つです。




3月26日 カニステル
カニステルは、果物であるのに、ゆで卵の黄身のような味と食感のする不思議な果実です。
形は、おもちゃカボチャに似ていて、色は黄色で、茶色の筋が入ることもあります。
樹は放任栽培だと10mくらいになりますが、畑では管理のしやすさを考えて、選定や芯抜きをして2〜3mくらいに仕立てられていました。
沖縄ではちょこちょこと見かける樹ですが、果樹として本格的に栽培している農家は少ないようです。
というのも、昔、ブームになった時があって、多くの人が争うように植えたのですが、せいぜい生食するくらいで他の利用方法がわからず、結局は「金(カネ)捨てる」とか「蟹捨てる」と揶揄されて放置されるものが多かったようです。
でも、最近では、アイスクリームの材料として見直されてきているようです。
カニステルは、完熟すると甘くて美味しい(ただし、薄い果皮にはえぐみがあるので食べない)のですが、少しでも未熟だとえぐみがあってくそ不味いんですよ。
今回の旅でお世話になったT青果さんから、お土産に完熟したカニステルをいただいたのですが、持って帰ってみると、2個ほど潰れていました。
でも甘くてまるで茹でかぼちゃのようで、美味しかったですね。
あ、それとひび割れたというか、はじけた物もあって、これも美味しかったです。
これを仕入れたら、ジュースか、サンドイッチに使えないかな?と思っています。




3月24日 沖縄
パッションフルーツには特別の思い入れがあります。 今から47年前、大学2年になる春休みのことです。 1週間前に買ったばかりの中古のバイクに、テントと炊事道具他を積み込んで南九州一周の旅に出たのです。 その時に立ち寄ったのが、薩摩半島南端の亜熱帯植物園(現在は閉園しているそうですが)でした。 一通り見て売店にまで行くと、そこでパッションフルーツの生ジュースを売っていたのです。 でも、1杯が300円!と書いてあったんです。 随分と悩みました。 だって、当時大卒の初任給が4万円くらい、クジラ肉の缶詰が30円、マトンが100gで15円くらい(どちらもよく食べた)の時に300円なんですよ? ジュース売り場の前で、しばらくうろうろして迷っていました。 そこへ、売り場のお嬢さん(多分高校生くらいだからアルバイトだったと思います)が一言。 「折角だから飲んでみたら? おいしいですよ〜!。」 うん、飲んでみよう! ということで、やっと決心して飲んでみることに。 件のお嬢さんは、それを聞くとミキサーを回し、紙コップにクラッシュアイスを入れてミキサーの中身を注いでくれました。 それを受け取り、おもむろに一口。 うん?こりゃあなんだ〜! メタクチャ美味いじゃあないか〜! パイナップルにバナナと桃を混ぜ合わせたような香り、甘味とバランスのとれた爽やかな酸味、ヒデキ、カンゲキ!(この元ネタわかる人は、中年以上かな?) 自分がもし果物屋を継ぐことになったら、絶対にパッションフルーツを売るぞ! と決意したことでした。




3月21日 沖縄
その後、果樹生産者を数軒周り、圃場の視察や生産者のお話を伺いました。
今回からその時うかがった話を書いていきます。

パッションフルーツはトケイソウの実です。
もっと正確に言うと、クダモノトケイソウの実です。
花として栽培するトケイソウは、花の色が白〜赤〜紫〜青と様々ありますが、クダモノトケイソウは白のみです。
雄しべと雌しべが独特の形をしており、時計の文字盤に見えることから、トケイソウの名前が付きました。
実の大きさは、ぴんぽん玉を少し大きくしたくらいの球形で、色は赤、紫、黄色などがあります。
殻は比較的薄く、中には黄色い果肉と黒っぽい種がぎっしりと詰まっています。
酸味はあるものの糖度が高く、何よりも香りがすばらしい。
バナナにパイナップル、びわ、桃をミックスしたような、いかにも「これぞ熱帯果物」というようなわくわくする香りです。
当店では、バーやカフェ等の飲食店の方が、カクテル用としてよく買われています。




2017/3/20 沖縄
3月4〜9日まで沖縄へ、果物の視察に行ってきました。
暖かいだろうと思って、着替えは半袖のポロシャツを数枚持っていったのですが、以外に風が冷たくて寒かったですね。
結局半袖のものは一度も着ることなく、最初に着て行った長袖のポロシャツに、薄いジャンパーで4日間を過ごす羽目になりました。
其れはさておいて、最初に訪れたのが沖縄中央青果でした。早朝5時に起床して、車で約15分くらいで到着。
早速、セリ前のセリ場に行ってみました。
季節柄、「桶柑」(タンカン)が多かったですね。
桶柑は、中国広東省が原産地の柑橘ですが、行商人が木桶で持ち歩いて売っていたことからこの名前が付いたとか。
あまり大きくは無いですが形は丸く、外観はキメが粗くスレ傷が多いので一見すると美味しくなさそうなんですが、甘い果汁がたっぷりで中袋と果肉は柔らかくオレンジに似た芳香があり、地元沖縄や九州南部では人気の高い柑橘です。
ほかには、近年注目され始めた「アテモヤ」や「パッションフルーツ」(黄色の物が多かった!)「ビワ」「パパイヤ」「島バナナ」などが並んでいましたが、「ブイ」という何かわからない果物や、細長いレモンなど珍しいものもありました。




2017/3/19 リンゴ
もう二十年以上前のことですが、テレビ局から電話があって、「印度リンゴ」を探してほしい、と言うのです。
当時、印度リンゴを見なくなって十数年にはなっていたと思うのですが、結局市場へ頼んで探し回ってもらったことがありました。
結局、あるリンゴ農家に一本だけ樹が残っていて、送ってもらったことがありました。
印度リンゴは、インドとはまったく関係がなく、青森県で発見されたリンゴです。
国光や紅玉が主力であった時代、酸味のあるそれらのリンゴと比べて、酸味がほとんどない甘い果汁と特有の芳香、緑色の地肌にピンク色がまだらにさす果皮が珍しがられて、一時は高級リンゴとして扱われていたことがあったのです。
残念ながら、ふじが台頭してくると、硬すぎて果汁が少なくぼそぼそとした食感が嫌われて市場から全く姿を消しました。でも、交配親として、「王林」や「陸奥」を世に出しています。




2017/3/18 リンゴ
「ふじ」が果物屋にとって救世主であったのは、それだけはありませんでした。
「ふじ」を交配親として、さまざまな品種が創られたのです。
一般によく知られている品種だけでも、実がしまって甘くて美味しい「ぐんま名月(あかぎ×ふじ)」、小玉で美味しく屋台でリンゴ飴によく使われている「アルプス乙女 (ふじ×紅玉)」、晩生で果肉がカリカリして甘く果皮が黄色い「あおり15号(星の金貨)(ふじ×青り3号)」、シナノ三兄弟の中で最も人気のある「シナノスイート (ふじ×つがる)」、甘くて身の締まった「千秋 (東光×ふじ)」、さわやかな美味しさの「北斗 (ふじ×陸奥)」等々、枚挙に暇がありません。
現在のリンゴ品種の多様さは「ふじ」のおかげでもあるのです。




2017/3/17 リンゴ
果物屋にとって、「ふじ」は冬の主力品種として無くてはならないものにまでなったのです。
それまでは、みかんが主力の座を占めていたのですが、みかんだけでは売り上げが限界に来ていました。
そんな時に登場した「ふじ」は、まさに救世主という感じでしたですねえ。
しかも日持ちがよいので、春になっても売れるのですから、これほどありがたいものはありませんでした。
春から初夏にかけては、売るものが無くて、長期貯蔵のみかんでさえも4月頃には痛みがひどくて、毎日取り除いても追いつかず、一日に2,3回は調べなければならないほどほどでしたですねえ。
ふじが出るまでは、4−6月頃にかけて果物屋が売るものといえば、長期貯蔵のミカン、萩の夏ミカン、イチゴ、国光、台湾バナナくらいだったかな?
ああ、そうそう、6月に出回る地物のすももがありましたねえ。
サンタローザ(三太郎とも呼んでいた)やソルダムでした。
でも、スモモや夏ミカンは、梅雨時に出回るのでよく腐っていましたよ、まだハウス栽培が始まっていなかったですからね。
「ふじ」の欠点であった見映えの悪さも、選定・摘果・施肥、いらない葉をとる摘葉、反射材を地面に敷いて果実の着色を促す等の技術の発達や、新しい殺菌や殺虫剤等開発と施用技術開発だけでなく、着色の良い品種の開発などで、現在のような大きくて見映えのよい美味しい「ふじ」ができるようになったのです。
また、炭酸ガスや窒素ガスを使って氷温で貯蔵する冷蔵技術(CA貯蔵)の開発、コールドチェーンの発達、段ボール箱や発泡スチロール箱などの梱包材発などで、7月頃まで美味しい「ふじ」食べれるようになったのは、有難い限りでした。




2017/3/16 リンゴ
スターキング・デリシャスは昭和49年にその生産量がピークに達しましたが、黄金時代は長くは続きませんでした。
「ふじ」が台頭してきたからです。
ふじは青森県南津軽郡藤崎町の農林省園芸試験場東北支場(現在の果樹研究所リンゴ研究拠点)で1930年代後半に育成され、1962年(昭和37年)に品種登録されたリンゴの品種で、デリシャスと国光を交配したものの中から、選抜・育成されました。
広島市場に初めてデビューしたときは、衝撃でした。
外観は国光にそっくりで、一口で言えば「平凡」そのものでした。
「なんだ、国光かあ、新品種といっても大して美味しそうに無いなあ。」と思ったのに、一切れ口に入れると、「ゥォ!なんだ、これは! 甘い!美味い!国光とは全、然違うぞ!」とまさにショックでした。
しかしながら、外観が国光とよく似ていたために、最初はなかなか売れなかったですね。
「そのリンゴは、ふじと言って国光と違って美味しいんですよ。」と言っても、反応があまりなかったですけど、根気よく勧めていると、「そんなに勧めるのなら食べてみようか。」というお客様が出てくるようになりました。
一度口にしたお客様は、さあ、半分くらいの方でしょうか、「あのリンゴをください。」と言って買いに来られるようになりましたですね。
そんな「ふじ」も、栽培技術が進歩するにつれて外観も良くなって見るからにおいしそうになり、味も一段とおいしくなり売れ行きも急速に上がってきました。
こうして1982年(昭和57年)には、ついにふじの生産量はデリシャス系のリンゴを追い抜いてトップに躍り出たのでした。




2017/3/5 リンゴ
確かにスターキングデリシャスはそれまでのリンゴの概念を変えるほどの美味しさだったのですが、実は大きな欠点があったことが明らかになってきました。
それは、蜜が特に入りやすかったという点です。
最初は長所だと思われていた蜜の入りやすさも、蜜が入った跡にあんこ病(ゴム褐変症とも言う)が多発したからです。
また、果肉全体が軟化するブクと言われる症状も、シーズン中盤から多発しました。
一応、売る前には指ではじいて音を聞いたり、強く握って果肉の硬さを見たりして判別するのですが、100%完全に当たるわけではありませんでした。
また当時は電気こたつ(赤外線ではなく、ニクロム線使用)に火鉢が普通で、部屋の中は、結構寒かったように思います。
こたつの上に置いてあったミカンやリンゴ(時にはお饅頭やせんべいの時もあった)は結構長持ちしていました。
リンゴやミカン等の果物は、冷蔵庫で保存するという習慣が無かったのです。
ところが、石油ストーブやアルミサッシ(断熱性が優れている)が普及するにつれて生活空間の平均温度が上がり、部屋にそのままリンゴを置いていたのでは、お店で売った時にはぴんぴんしていたリンゴがあんこ病になってしまった、というようなことが多発したのです。
「果物は生鮮食品なので、冷蔵庫に入れてくださいね」
とお客様にお願いすると、
「果物が生鮮食品?」
と笑われたりしたのもこの頃のことです。




2017/3/4リンゴ
国光と紅玉の2大巨頭時代が終わりを告げたのが、昭和30年代の終わり頃でした。
スターキングデリシャスが出回り始めたのです。
スターキングデリシャスは、アメリのニュージャージー州の農園で、デリシャスの枝変わりとして発見されたリンゴです。
紅玉の酸味と国光のさっぱりした味わいに慣れていた私には、その濃厚な甘みと気品のある香りは衝撃的でした。
また、紅玉や国光の丸みを帯びたつるんとした外見に見慣れた目には、お尻に向かってすぼまっていくその優美な形や、お尻が王冠のように凸凹していて、全体が濃い赤色に着色して、それまでのリンゴよりもはるかに大きいのも、新鮮な感動でした。
最盛時には、地元のデパートで、何の変哲もないスターキングを一個1500円(一個150円くらいのもの)で売っていて、流石にデパート!と物議をかもしていたものです。
ゴールデンデリシャスが出回りだしたのも、この頃でした。
果肉が柔らかくて酸味のない甘味、デリシャス系の優美な香り、当時は珍しい美しい黄色の果実は、真っ赤なスターキングと組み合わせるとよく生えて、贈答用の箱詰めセットがよく出ていました。



2017/2/27 リンゴ
私が物心ついた頃から小学生のころまで(昭和27年頃〜30年代後半)、リンゴと言えば紅玉と国光が2大品種でした。
「国光」と言う名前からは、いかにも日本で創られたというイメージがありますが、実はアメリカ産なんですよ。
アメリカ名は、Ralls Genet ロールス ジャネットといい、アメリカ合衆国第3代大統領のトーマス・ジェファーソンがフランス大使からリンゴの枝をもらったのが初めだったとか。
初代大統領のワシントンは、初めてもらった斧でリンゴの木を切り倒した話が有名ですが、何か因縁を感じますね。
さて、この国光、それまでは和リンゴ(奈良〜平安時代に中国から伝わったといわれ、4〜5cmくらいで、小さくて酸っぱかったと言われている)しか知らなかった日本人には衝撃的だったようで、特に青森県を中心に急速に栽培が広がりました。
今のリンゴから比べると、色付きが薄く縞模様がはっきりとしたごく平凡な小さめのリンゴ、という印象でしたが、別名「雪の下(雪が降る中収穫したことから)」と言われるほど晩熟の品種で、冷蔵庫があまり普及していなかった当時でも、普通に年を越して食べることが出来ました。
さっぱりした味で果肉はさっくり爽やかで、当時はなかなかの人気でした。
また、当時は段ボール箱や発泡スチロール箱などはなかった時代で、木箱の中のもみ殻に埋まった状態で送られてきていました。
この木箱が難物で、重たい、ぶつかると痛い、使った後の始末に困る(そのままではごみ収集業者が持って行ってくれない)→箱を壊して束ねるときに、残っていた釘でけがをするなど、厄介でした。
また、この木箱の中はもみ殻がぎっしり詰まっており、その中に国光が埋まっているのですから、掘り出すのが大変でした。軍手をはめてするのですが、それでももみ殻がチクチクして嫌なものでした。
取り出した後は、また一個ずつ水で洗って乾かしてやっと店先に並べることができたのです。
今では軽くて丈夫な段ボールか発泡スチロールに、モールパック詰めで楽になりましたね。 


2017/2/23 リンゴ
私たち戦後生まれは、リンゴと言えば並木路子の「リンゴの唄」を一番に思い出します。
昭和21年の1月にコロンビアレコードから売り出されると、焼け野原の街中に明るい歌声が響き渡り、瞬く間に空前の大ヒットとなりました。
戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていたにもかかわらず、懸命に歌う並木道子の明るい歌声は、終戦直後の暗い世相の中で明るい灯をともし続けてくたそうです。
私が物心が付いた昭和28,9年頃でも、よくラジオから聞こえていました。
また、小学校の遠足でも車中で歌っていた記憶があります。
いまでも、お店に並べた真っ赤なリンゴを見ていると、思わず口すさんでいることがあります。




2017/02/21 回青
多くの果物は、未熟なうちは果皮が緑色をしています。
熟してくると次第に緑色は失われていき、赤や黄色になってきます。
その色具合を見て、熟度を判断するわけです。
ところで、この緑色は、葉緑素の色なんだそうです。
葉緑素は植物の細胞内で、酸素、炭酸ガス、光、熱の条件がそろったときに、盛んに合成されます。
果皮にも光が当たると、葉緑素が合成されて緑色になります。
ところが、この葉緑素は出来る端から壊れていくのですが、温度が高く光が強いうちは壊されるよりも合成されるスピードが上回っていて、緑色が残っているそうなのです。
しかしながら多くの果物が熟してくる秋から冬にかけては、気温が下がり光も弱くなる(特に温度の影響が大きいそうです)ので、葉緑素が壊れていくスピードのほうが合成されるスピードを上回るために、緑色が抜けてきてそれ以外の色素(ミカンの場合は黄色)が見えてくるのです。
そして冬を越して春から夏になると、次第に葉緑素が多く合成されるようになり、果皮が緑色になってきます。これが回青と呼ばれる現象です。
回青は、八朔だけでなく夏ミカンやオレンジにも見られます。
回青したオレンジなどは、オレンジ色の地肌に緑色が混じって、いかにも酸っぱそうに見えて敬遠されがちですが、実はよく熟したものだということができます。




2017/02/16 土佐文旦
いらっしゃいませ。毎度有難うございます。
今日は、土佐文旦の良いものが入荷しておりますよ。
え?土佐文旦と文旦の違いですか?
文旦は、土佐文旦の他に晩白柚、八朔、グレープフルーツ、夏みかん、瓢柑、ザボン(うちむらさき)などを総称して言います。
それに対して、土佐文旦は、そのなの通り土佐(高知)で作られてる文旦なんですよね〜。
文旦類は、他の柑橘類と交雑しやすくて、各地でいろんな品種が出来ているんですよ〜。
土佐文旦は、昭和4年に高知農事試験場・園芸部長の渡辺恒男氏が、鹿児島県から導入したと言われていますけど、どうも「大橘 おおたちばな」と同じかもしくは余程近い品種ではないかと言われているそうですよ。
土佐文旦は、種が多いのが欠点ですけど、種の少ない水晶文旦というのも生まれていますよ。
私、大学が高知だったもので、よく日曜市にいっていましたけど、3−5月頃には土佐文旦が沢山出ていましたねえ。
あんまり甘い、という感じでは無いんですけど、爽やかな酸味と僅かな苦み、そしてなんと言っても独特のスッキリとした香りが、丁度春真っ盛りの気候とマッチして美味しかったですねえ。
お一つ如何ですか?




2017/02/14 メロンは何故発酵する?
発酵玉のメロンを食べたことがありますか?そう、独特のエステル臭がして舌にピリッとくるやつ。静岡のメロンの場合、特に4,5月に発生する事が多いようです。樹勢が旺盛なときにそうなりやすいというのはしっていましたが、何故そうなるのかは知りませんでした。ところが、先日静岡メロンの生産者と雑談しているときに、ちょっとだけ聞くことが出来ました。それによると「葉から送られてきた栄養でコルクが作られ、それがコルク層に滑り込むから」ということでした。これを自分流に解釈すると「樹勢が旺盛なメロンの樹(本当は草本類なので樹では無いのですが)は、葉の光合成も盛んになる。葉で作られた栄養は導管によって果実の表層、すなわちコルク層に送られ、コルク層をより硬く緻密にする。だから、発酵玉のメロンは指で弾くと、キンキンとう金属を叩いた時のような甲高い音になる。また−−ここからは自分だけの考えですが−−表層だけでなく果肉にも栄養はどんどん送られ、その栄養は細胞内だけで保存できなくなり、細胞間にまで溢れ出す。丁度蜜入り林檎のように。あふれ出た部分は透明になり、またエステル臭やピリピリとした刺激をもたらす物質が貯まっていく。これで発酵玉の出来上がり!」と言うことでは無いかと思っています。




2017/02/11 いしじミカン
昭和49年に広島県安芸郡倉橋町の石地農園において,「杉山温州」の中から変異樹が発見されました。今では広島県産みかんの代表的品種になりつつあるこのみかんは、「いしじ」と名付けられて急速に栽培面積が広がっています。というのも、浮き皮になりにくいからです。近年天候不順の年が頻繁に起きている昨今、急傾斜地として知られる大長のみかん畑でも浮き皮に悩まされています。つい数年前までは、11月にこんなに雨が降ることなど滅多に無かったのですが、これも地球温暖化の影響なのでしょう、頻繁に起きるようになりました。そんな悪条件の中でも浮き皮になりにくい「いしじ」みかんは、みかん農家の救世主となるかもしれません。




2017/02/4  大長みかん雑談

現在の大長では、残念なことに「耕して天に至る黄金の島」と言われた景観を見ることは出来ません。
山の中腹より上は、ほとんど耕作放棄されて雑木林になりつつあります。
また、本土とはいくつかの島を経由して橋で繋がったので、島外に働きに出る人も多くなったそうです。
そのためもあって、後継者がますます少なくなったと聞きました。
でも、みかんが衰退した一番大きな理由は、生産者だけで無くその後継者も、みかんの栽培に将来の展望を持てなくなったことでは無いのでしょうか。
今から18年も前に「農業水産経済研究 第9号」に発表された勝部眞人氏の「大長ミカンに関する史的考察」という論文にも、
「今後大長ミカンをはじめとする柑橘栽培が生き残っていけるどうかは、一つに後継者が夢を持てるかどうか、少なくとも夢を持つことを保証される社会であるのかどうかに大きく関わっているように思えてならない。
ただそれは日本農業全体の問題なのであろう。」
と最後に結んでありました。
18年後の今日、果たしてそのような社会になっているのかどうか、大長のミカン畑を見ながら疑問に思わざるを得ませんでした。




2017/02/3  大長みかん雑談<
平成3年9月27日に広島県を襲った台風19号は、広島市での最大瞬間風速が広島地方気象台観測史上第1位の58.9m/sを記録するという、猛烈な風台風でした。
島嶼部および沿岸部は、猛烈な風によって吹き倒されるみかんが多かったのです。
しかも、南風でしたので、美味しいみかんの出来る南向きの斜面に有った畑程、甚大な被害を受けました。
それだけで無く、巻き上げられた海水は、海岸から80km以上離れた山地にまで達し、木の葉が赤く枯れ上がるほどでしたので、島嶼部や沿岸部などのみかんはひとたまりもありませんでした。
これは余談ですが、この時、広島市内では、電柱のガイシに巻き上げられた海水の塩分が付着してショートし、ほぼ全域で停電しました。
この時の経験を生かして、現在のガイシには塩分が付着してもショートを起こしにくい構造に変えたそうです。
台風一過、直ぐにみかん畑の復旧に向けて動き出したのですが、この時被害を受けたのは広島県だけでは無く、九州・中国・四国地方のみかん畑も大きな被害を受けていました。
そのため、みかんの苗木が全国的に払底し、品種は何でも良いからとにかく早く、と言うことで、みかんの苗木を全国からかき集めて植え直したのでした。
その結果、青江早生は激減し、残った僅かばかりの青江早生も老齢木であったことから、十数年後にはほぼ完全に姿を消したのでした。




2017/02/1  大長みかん雑談
すなわち、みかんを磨くことでした。まずローラーの上をゴロゴロ転がして、みかん同士をこすり合わせ、外皮に付いている汚れを落とします。次にブラシ掛けをして水を上から撒いて洗い、温風で乾かしていたのでした。数十メートルもある一台の大きな機械で、大小の選別もしながらこれらの作業を自動的にこなしていくのですから、機械の購入費用もバカになりません。でも、この頃はまだ等級分けには人の手と目が必要だったのですが、最近の機械は、センサーでキズの有る無し、糖度の判別もこなしてしまうのですから驚きです。ともあれ、このように外皮に付いていた汚れ(石灰硫黄合剤も含む)を落とすときに、ついでにみかんの外皮に生成されているクチクラ層(天然のワックス)をも落としてしまいます。そのままでは、みかんの外皮がしなびてしわが寄りやすくなってしまいます。そのため、ワックスを掛けてローラーの上を転がしていくのも、合わせてこの機械がおこないます。これだけみかんに物理的刺激を与えてしまうと、余計に浮き皮になりやすくなります。特に、青江早生は外皮は晩生のみかんでありながら、中の果肉は早生という、キメラ構造をしています。暖冬の年には、外皮の成長は止まらないのに中の果肉は成熟して成長が止まってしまう→浮き皮になりやすい という困った性質を持っていましたので、後は推して知るべしです。そんなときに、青江早生にトドメを刺したのが、平成3年に襲来した台風19号でした。